日舞のお稽古に行ってきました。実際に、どういう雰囲気なのかを説明していきます。

日本舞踊

日本舞踊とは

簡単に言えば、「日本の舞踊」になります。その発祥から現代までは少なくとも400年の歳月があり、それを更に300年を遡る時代に存在した<を始めとする芸能の技法を継承し、これに新しい時代に工夫された技法を加えて洗練を重ねて大成されたのが日本舞踊と言われています。

日本舞踊はコトバの意味を単純に言い表せば「日本の舞踊」ということになる。

しかし歴史的にその発祥から現代までの少なくとも400年の歳月の中で、それを更に300年を遡る時代に存在した<能>を始めとする先行芸能の技法を継承し、これに新しい時代に工夫された技法を加えて洗練を重ねて大成されたのが日本舞踊である。

これを要約して言えば「日本舞踊」とは、その大成以前から伝承された古典技法を基礎とし、舞台で表現される芸術舞踊ということになる。

日本舞踊協会より引用

日本舞踊の流派

日本舞踊には、数多くの流派がありますが、ここでは代表的な流派について説明していきます。

花柳流 〔はなやぎりゅう〕

初代 花柳寿輔じゅすけによって始まりました。
寿輔は、元々は西川流宗家そうけの四代目西川扇蔵せんぞうの門下で、歌舞伎役者の市川團十郎の弟子として役者デビューもしています。家庭の事情で役者を諦めた後は振付師を目指し、扇蔵にも将来を嘱望しょくぼうされていましたが、扇蔵の没後、流派を破門になりました。
破門後は、自分の育った吉原に戻って芸者達に踊りを教えていました。
やがて吉原の顔役が後ろ盾になり、その勧めによって「花柳」という性を使って歌舞伎の振付師に復帰したのが花柳流の興りだと言われています。

寿輔は明治歌舞伎の振付師として活躍し、二代目寿輔も精力的に歌舞伎舞踊を振りつけました。
しかし戦後の花柳流は歌舞伎から離れ、流派の舞踊家育成と組織の体系化に力を注ぐようになり、細やかに振りつけが定められるなど、流派内での統一性の維持も図られています。
現在では、五大流派の中でも所属人員最多の最大組織となっています。

藤間流 〔ふじま りゅう]

江戸時代から300年以上歌舞伎と深く関わりあってきた伝統ある流派で、細やかというよりも、劇場で映える大きな踊りの振付であると言われています。

幾つかの分派があり、現在の宗家は藤間勘十郎かんじゅうろうです。

藤間流始祖しそは藤間勘兵衛かんべえで、江戸に出て歌舞伎振付師となった際、故郷の村の名前を性にしました。
数代後の勘兵衛の養子筋から出たのが勘十郎家でしたが、本家の勘兵衛家が途絶えた後は、勘十郎家に宗家が任され、結果的に統合継承されたのです。

勘十郎宗家からは歌舞伎界の名振付師が輩出されており、現宗家も歌舞伎舞台の振付の多くを手がけ、歌舞伎界の御曹司の多くが師事しています。

勘十郎派の次に大きいのが、初代勘十郎の弟子が独立して興した勘右衛門かんえもん派です。
初代と二代勘右衛門は歌舞伎役者から転向した振付師でしたが、三代目以降は現役の歌舞伎役者達によって受け継がれており、当代勘右衛門は、役者としては三代目尾上松緑です。
また、紫派藤間流や紋三郎流藤間流など、他にも歌舞伎界に縁に深い分派があります。

若柳流 [わかやぎ りゅう]

初代家元の若柳寿童わかやぎじゅどうは、花柳流初代家元の花柳寿輔はなやぎ じゅすけの弟子で歌舞伎振付に携わっていましたが、破門されて自ら流派を興しました。
師の花柳寿輔と意見対立があったのだと言われています。

独立後は歌舞伎を離れ、花柳界かりゅうかいから活動の場を広げていきました。花柳界から発展した流派なので、振りの繊細さと全体の品位を大切にしているそうです。

三代目家元襲名の折、複雑な事情により、正派若柳流と宗家若柳流に分裂し、さらに幾つかの分派に枝分かれしましたが、すべてを若柳流として合わせれば大規模流派になります。

正派若柳流は、家元制度ではなく理事制という珍しい体制の元、著名舞踊家を輩出しています。
現在の宗家は拠点を京都とし、京都花街の宮川町の芸舞妓の指導もしていますが、宗家自身は歌舞伎舞踊も積極的に演じ、流派の重鎮が上方歌舞伎の役者の舞踊振付を手がけることもあります。

西川流 [にしかわ りゅう]

元禄時代に始まった、最も古くて、由緒のある流派です。
流祖の西川扇蔵は、歌舞伎囃し方から振付師に転向しました。その後、歴代家元により、「鷺娘さぎむすめ」「関の扉せきのと」「勧進帳かんじんちょう」などの名作歌舞伎舞踊が振り付けられました。

当代宗家家元は、自身が理事長として超流派の団体の日本舞踊振興財団を設立し、他流派の舞踊家達と協力して、日本舞踊を次世代に伝えていくための活動を行っており、裾野を広げるために子供教室や海外公演にも積極的です。

有力分派に名古屋を拠点とする名古屋西川流があります。
元歌舞伎役者で西川流門弟だった初代西川鯉三郎が独立を許されて始めました。二代目鯉三郎も高名な舞踊家ですが、元は役者で、歴史に残る踊りの名手の六代目尾上菊五郎の部屋子でした。
当代の名古屋西川流家元右近は、スポーツ科学者と協力して日舞の動きを取り入れた運動プログラムを開発するなど、独特の活動を行っています。

坂東流 [ばんどう りゅう]

歌舞伎の名跡坂東三津五郎家が代々家元を継承しており、自ずと歌舞伎色が一番強い流派です。

家元が歌舞伎の家であるからこそ、舞踊にも「演じる」ということが大事にされています。歴代家元には歌舞伎舞踊の歴史上重要な名優の名前が見られ、彼らが初演した演目から舞踊の名作が生まれています。

流祖と呼ばれる三代目三津五郎は、変化舞踊の名手で、複数のキャラクターの踊りがセットになり、それらのキャラを早変わりで順番に一人で踊り分けるというものです。その中から、「汐汲みしおくみ」「願人坊主がんにんぼうず」「傀儡師くぐつし」など個々の踊りを独立させて、現在日本舞踊の定番になっているものが多数あります。
七代目三津五郎も「踊りの神様」と称された名手で、その後も名優が続きました。2015年に亡くなった10代目も若い頃から舞踊に定評があり、18代目中村勘三郎とのコンビでも名舞台を残しており、早すぎる死が悼まれました。
現在の家元は、三津五郎長男で若手役者として活躍中の坂東巳之助です。

花柳流

私が、習っている流派「花柳流」になります。花柳流でも崩せない基本は同じですが、師匠の方によってお稽古の進め方は異なっているようです。

今回は、私が習っている教室での様子を紹介したいと思います。

花柳寿美衡先生

私の習っている先生は、それぞれの生徒に合わせてお稽古進めてくれます。複数の教室と個人指導の生徒も持っていますが、それぞれ習っている曲もペースも違うのです。

それだけ、先生が生徒のことを考えどの曲がいいかなど選曲をして下さっています。

例えば、手が痛いと言えば、通常、日舞には欠かせない小道具の「お扇子」は使わず、「手踊り」といって盆踊りのように手の動きと体の動きだけで振り付けを考えてくれます。

また、膝が痛い方には、通常の振り付けだと「座る」ところも「座らない」で出来る振り付けにして「生徒に負担のかからない」指導をしてくれます。

実際のお稽古の流れ

ここからは実際のお稽古の流れを説明していきます。先ほども、お伝えしましたように、先生によって、お稽古の流れも違うと思いますので、今回は、私が習っているお稽古場での様子を説明します。

日舞には欠かせないお着物ですが、自宅からお着物を着ていらしゃる方もいますが、私のように仕事帰りにもお稽古が出来るように、お着物を先生のお稽古場に置いておくことが出来ます。

あいさつ

玄関を入ったら、着替える前にお稽古場の前室にいらっしゃる先生に1度ご挨拶をします。

着替え

前室を挟んで着替える部屋がありますので、ここで、洋服から着物に着替えてをします。お稽古は浴衣でもOKです。

お稽古

着替えが終わったらお稽古ですが、実際にお稽古に入る前にも流れがあります。

あいさつ

先ほど、洋服のままでご挨拶をしていますので、お着物に着替えたら前室に入る際に、再度、先生に挨拶をしてから入ります。

そのまま、すぐお稽古に入る場合もありますが、その前に、先生や一緒のお弟子さん方と世間話をすることもあります。これも、1つのコミュニケーションですね。

お稽古

前室からお稽古場へ移動します。

すぐに、曲かけてお稽古するのではなくお稽古場でも改めて、お稽古が始まる前に「宜しくお願いします」と一言挨拶をします。

一体、何回挨拶をするんだ?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、挨拶は社会生活の基本ですので、ここで身につけておけば、どこでも応用可能です。

いよいよ、曲をかけてお稽古の始まりです。

曲は、初めての方は舞踊で必要な基礎知識や作法、お扇子の持ち方など基礎ができる曲から始まりますが、進み方は人それぞれ違います。

なぜなら、先生が個々の個性・技術的な進み具合・体調などを考えて下さり曲を決めて頂けるのでとても助かります。よくありがちな「次のお稽古までに覚えてきて下さい」ということはありません。お稽古で覚えて帰ればいいことだからとおっしゃってくれます。

お稽古の内容は、日舞ですので簡単に言うと「踊る」ことを習うのですが、先ほどもお伝えしたように、先生が個々に合わせて行いますので、自分だけ遅れるなどという心配はありません。

一通りお稽古が終わったら「ありがとうございました」と挨拶をしてお稽古場を出ます。

お稽古が終わったら

前室へ戻り、他のお弟子さんがいる時は交代します。1人の時もありますが、先生とのコミュニケーションの時間になります。

ここからは、お稽古に来た時と逆に順番になります。

着替え

着物を置いておく場合は、着替えをします。

私は、仕事帰りにお稽古へ行くことが多いので、お稽古の日に着物を持って職場へ行かなくてもいいので、とても助かります。

あいさつ

着替えが終わったら、帰る前にもう1度先生に挨拶をします。

学校でいえば、最初の挨拶が朝の挨拶、お稽古前後が授業の開始を終了、最後が帰りの挨拶といったところでしょう。

ごく、当たり前のことを自然に身につけていけるところが、日本舞踊の素晴らしいところだと思います。

まとめ

敷居が高いと思われがちな日本舞踊ですが、習い始めればそうではないことがわかります。

お月謝もおそらく英会話スクールに通うのと同じか、若しくは、安いくらいだと思います。

まだ、発表会は経験がないので費用はお伝えできませんが「無理しないように」と先生も話してくれていますので、機会があればお伝えしていきたいと思います。

後継者が少なくなりつつある日本舞踊に興味を持って頂ければ幸いです。

花柳寿美衡舞踊教室のホームページはこちら

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